
2016年01月20日
現実的なTecダイビング・・・! ②
あの当時、やっぱり未知の領域のダイビングスタイルを少しでも実践で確立していこうと思ったら、日本国内では皆無に等しいのですから、既にじゃんじゃんトライしていた欧米ダイバーのスタイルと経験則にどうしても見習うしか他に方法はありませんでした・・・。
なのでどうしても英語力が必要になるのでした・・・。
須賀次郎さんをはじめ、一部の先駆者ダイバー達の中では、龍泉洞をはじめ、その昔から国内でも有名なケーブや未知の水中洞窟を潜ったことのあるダイバー達はいるにはいるみたいでしたが、それは後に繋げていくスタイルを確立していくためのものとは程遠いもので、そのとき単に運よく戻ってこれたか、某テレビ局のカメラマンのように行方不明になってしまうかなどの、場当たり的なものだったに違いない・・・。
その教訓を後世に活かして、一つのスタイルを育てていこうという形態では決してなかったはずである・・・。
ですから、あの時私は真剣にナラボー平原の地底湖を潜るためには、まずは自分が全てに納得できる為に英語力を付けなければならないと思ったのでした・・・。
ですが時というのは気まぐれなものでして・・・、あれだけ真剣に目標を立てていたケーブダイビングにも関わらず、日々の時間の経過と共に自分を取り巻く環境もいつしかどんどん変わり、他の事に忙しくなり夢中になりだして、その内ケーブダイビングの事はすっかり忘れかけていました・・・。
その背景の一つに、英語力の上達と共にいかにそのケーブダイビングの危険性が大きいのか、どれだけ過去犠牲者を出してきたのか、という本質と具体性が細かく分かるようになってきた事で、なにもわざわざそんなリスクの高すぎることに自ら飛び込まなくても他にも・・・という思いが前に出始めていたのだと思う・・・。
それにその頃は、世界を一斉風靡した唯一の「野生のジンベエと潜るツアー」を夏に開催、冬は「クジラと泳ぐツアー」や「ジュゴンスウィム」なと、世界中から押し寄せるお客を受け入れるのにてんてこまいでした・・・。
そうしていつしか、リスキーなケーブやテクニカルダイビングはどんどん後回しになっていったのです・・・。
アサヒセンスイ
http://asahi-scuba.jp
なのでどうしても英語力が必要になるのでした・・・。
須賀次郎さんをはじめ、一部の先駆者ダイバー達の中では、龍泉洞をはじめ、その昔から国内でも有名なケーブや未知の水中洞窟を潜ったことのあるダイバー達はいるにはいるみたいでしたが、それは後に繋げていくスタイルを確立していくためのものとは程遠いもので、そのとき単に運よく戻ってこれたか、某テレビ局のカメラマンのように行方不明になってしまうかなどの、場当たり的なものだったに違いない・・・。
その教訓を後世に活かして、一つのスタイルを育てていこうという形態では決してなかったはずである・・・。
ですから、あの時私は真剣にナラボー平原の地底湖を潜るためには、まずは自分が全てに納得できる為に英語力を付けなければならないと思ったのでした・・・。
ですが時というのは気まぐれなものでして・・・、あれだけ真剣に目標を立てていたケーブダイビングにも関わらず、日々の時間の経過と共に自分を取り巻く環境もいつしかどんどん変わり、他の事に忙しくなり夢中になりだして、その内ケーブダイビングの事はすっかり忘れかけていました・・・。
その背景の一つに、英語力の上達と共にいかにそのケーブダイビングの危険性が大きいのか、どれだけ過去犠牲者を出してきたのか、という本質と具体性が細かく分かるようになってきた事で、なにもわざわざそんなリスクの高すぎることに自ら飛び込まなくても他にも・・・という思いが前に出始めていたのだと思う・・・。
それにその頃は、世界を一斉風靡した唯一の「野生のジンベエと潜るツアー」を夏に開催、冬は「クジラと泳ぐツアー」や「ジュゴンスウィム」なと、世界中から押し寄せるお客を受け入れるのにてんてこまいでした・・・。
そうしていつしか、リスキーなケーブやテクニカルダイビングはどんどん後回しになっていったのです・・・。
アサヒセンスイ
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