2014年08月01日

仁義なき・・・

「仁義」って言葉を使うと、とても古臭く感じるか、ちょっとヤクザっぽく受け止められがちだけど、僕は今でもこの言葉をよく使うほうだ・・・。

東京下町生まれの江戸っ子のせいか、子供の頃からまわりには、いわゆるチャキチャキのおっちゃん達が多かったおかげで、大人の会話の中によく仁義という言葉を耳にする機会があったようだ。

そう言えば、叱られる時もそんな言葉を誰からともなくよく言われた事を小さいながら耳に覚えている・・・。

おかげで、自然にというか当たり前に自分が大人になってからも周囲にその仁義という言葉を普通に使っているのだろう・・・。

ところで「仁義」って、どういう意味かって・・・?

辞書を引いてみるとこんなことが書かれている・・・、「道徳上守るべき道筋」とか、「他人に対して欠かせない礼儀上の努め」。

他の辞書には、「道徳、おきて」などとも書かれている・・・。

全般的に見て僕はこう捉えている・・・、仁義という日本語が本来伝えたいものは「道徳」なんだと・・・。

それはすなわち、、人と人が無駄な争いを起こさないよう共存していくためのルールの尊重や常識感の共有、そしてお互いに対して礼儀を重んじる心構えの事だと・・・。

東京下町というところは、元々経済活動の活性する江戸城下町において、生きていくための生活や職を求めて、貧困に苦しむ人たちが田舎から新拠点を求め、やがてそこに住み着いた人たちのごったがえしたコミュニティー地区でもある。

しかしそこにはやはり、元々いた人、新しく移り住んできた人、東北の人、北関東の人、近畿の人、信州の人・・・、それこそ全国から風習、習慣、教育、言葉の違う者達が、限られた狭い土地の中で共存していくことになるわけだ・・・。

そうすると元々持ち合わせていた風土での価値観の違いからなど、隣近所で、すれ違いや摩擦、争いなどが狭苦しいコミュニティーの中から発生する・・・。

これじゃあいけないと、いつしか「教育」の一環としても、特に下町での大人達は「仁義」という言葉のもつ意味を重んじてきたのだろうと想像する・・・。

そしていつしかそれらが浸透しはじめると、それらは隣近所で暮らすものの間では当たり前となり、やがて地域全体の常識となる・・・。

すなわち、そのコミュニティーでの生活者、出身者として"あるある"としての「気質」というものが出来上がるというわけだ・・・。

時代劇でも言われるように代表的なところで、「喧嘩と花火は江戸の華」であるとか、「江戸っ子は義理人情にうるさい」だとか、「宵越しの金は持たねぇのが主義」だとか、色々下町で生きる良しとされる気質を、こういう言い方で表現して美徳感としていた・・・。

んっ?と思うものもあるかもしれないが、兎に角共通して言える事は、どんなことをしても「仁義」だけは欠いてはならないという徹底さなのである。

任侠や極道の世界で生きる人間ならば、この言葉は特に重要だったと思う。

もしその世界の人間に、それこそ「おきて」がなかったとしたら、どうなるのだろうか・・・。

それこそ映画の「仁義なき戦い」のような、無差別、非人道的な事件が次々勃発するのだろう・・・。

守られていたからこそ出来上がっていた共存とバランスがそこにはあったと思う。

そういえば中学生の頃まで位は、近所のあちこちに全身デカデカと刺青の入った、いわゆるヤクザのおっちゃん達が結構いたのを覚えている。

しかし、昔のヤクザは今の単なるファッション小僧や、拝金主義の暴力団と違って、完全な町の教育係を請け負っていたように思える・・・。

大人だろうが子供だろうが町という公共の場で共存していく中での答えはいたってシンプル・・・。

物事は、町で生活していく上で、「正しい振る舞いなのか」、「正しくない振る舞いなのか」、だけなのである。

ある近所のお好み焼き屋の源さんというじいさんは、毎日毎日朝早くから白いふんどしいっちょで、1日も欠かさず店の前の通りに必ず柄杓で水撒きを行う・・・。

しかしそこは小学生の通学路で、毎朝多くの小学生がそこを通って学校に向かうのだが、その源さんの体には、下は足首から上は手首まで、それこそ見事なまでにびっしりと和柄の刺青が全身に入っている・・・。

しかし、水撒きをしながら目の前を通る一人一人の小学生に、「おはよう!」 「ハイ、おはよう!」 「いってらっしゃい!」と必ず挨拶と声をかけていた・・・。

学校の先生よりも、大きな声で凛々しくハキハキと朝の挨拶を交わす源さんですが、そこでもし返事をしない子がいたら・・・、人に聞こえないくらいボソボソと声が小さい子がいたら、朝から怒鳴りつけていましたからねー・・・。

毎朝、そこを通過することが子供達にとっての「教育」現場でしたからねー。

銭湯でも、友達と喜んで勢いよくいきなり湯船に入ろうものなら、それまでじーっとただ腕を組んで静かにお湯に浸かっていた刺青のおっちゃんが、突然「バカヤロー!先にキンタマ洗ってから入れ!ちゃんと考えろ!」と怒鳴り付ける・・・。

下町のおっちゃんですから、声はでかいし巻き舌だし言葉がきついし・・・、おまけに刺青ばっちりですから、そりゃ間髪いれずに「ハイ!ごめんなさい!」、です・・・。

だって、後ろの壁一面に綺麗に書かれている富士山の壮大な絵よりも、目の前のおっちゃんの体のほうがはるかにアーティスティックだったし綺麗だったしねー・・・。

考えてみたら、当時はまだ大衆浴場(銭湯)でも、刺青背負っててもOKだったんですよねー・・・。

それって下町だけだったのかなー・・・?

源さんにいたっても、父兄さんやPTAでも特に問題視されたこともなく、逆にお母さん連中の中には、昼間源さんにばったりと会うと、「いつも子供たちがお世話になって、ありがとうございます!」なんて、全身刺青の白髪の源さんに頭下げて御礼なんか言ってるお母さんもいましたよ・・・。

全身に刺青を背負ったじいさんたちは、完全に町の教育係になっていましたねー・・・。

源さんにしても、銭湯のおっちゃんにしても、若い頃はそれなりに暴れん坊だったんだろうと思います・・・。

そして多分年の頃から言っても戦争に行った人達だったんだと思います・・・。

聞いたことはないけど・・・。

刺青を全身に纏った若いヤクザもんは、あの戦争で何を見てきて何を思ったんでしょうね・・・・?

戦地から焼け野原の東京に戻って、どんどん老いていくヤクザのじいさんたちは、その後幸せな暮らしになった日本の子供達に何を伝えたかったんでしょうね・・・?

そんな子供の頃近所にいた刺青のじいさんたちはもうとっくに死んでこの世にはいませんが、僕はなんだかあの近所のじいさんたちに、子供の頃に「仁義」という言葉を教わった気がしています・・・。

そんな目線で今の社会、取り分けこの沖縄のダイビング業界を見てみると、「仁義」という言葉は皆無です。

どんな地域だろうと、どんな産業だろうと、どんな業界だろうと、、「道徳上守るべき道筋」「他人に対して欠かせない礼儀上の努め」「おきて」など、つまり「仁義」を欠いているのなら、常に揉め事は絶えないし、争いは納まらないし、当然発展もしないのだろう・・・。

日本全体の社会問題でもあるけど、身近なところでここ沖縄のダイビング業界は水面下では完全に仁義を欠いた無法地帯になっています・・・。

先日、古宇利島沖に沈む特攻機の残骸から、メーターパネルが盗まれた事件がこの業界のずさんさを象徴するかのようないい例でした・・・。

この事件は結局、メーターパネルが元にあった場所には未だ戻されておらず、盗んだ当人によって新たに悪意を持って別の場所に隠されたことで未解決事件と考えられ継続中てす。

この国有財産法違反を犯した犯人K以外にも、その他間接的であっても関係してた個人や事が明るみに出ないように静まり返っているNPO団体などは、今後全国規模で大きく追求していかなければならないでしょう。

それもこれも、日本に昔からある教えとしての「仁義」・・・。

ちゃんとその意味が理解できていればよかったんですが・・・。




O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive




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