
2014年01月27日
やはり特攻機はそこに存在していた・・・
2014年、年明けの一発目のエモンズレックに行ってきました!

ちょうど運よく天候も風向きにも恵まれ、海は久しぶりに見るベタ凪でした!
ん~、幸先いいスタートです!
さて、今回潜るポイントはエモンズと言っても、実際はエモンズを見る為に潜っているのではなく、僕はそのエモンズに特攻した日本の特攻機、98直協を調べる為に潜っていると言ったほうが正しい・・・。
個人的に潜るときや、ピンポイントで98直協のリクエストがある場合は、常にそうした潜り方を行っている・・・。
マニアックな方や遺族会の方達も、少しでも多くの情報が上がることを待ち望んでいることもあり、そういった場合は殆どエモンズに背中を向けて海底にへばりついて、特攻した後の痕跡を辿り、頭の中でプラモデルを組み立てるようなイメージングを行っている現状です・・・。
そして今年一発目のエモンズではなく・・・98直協に潜ってようやく一つの答えに辿りつきました・・・。
エモンズがこの場所に沈んだ1945年当初、そこには無残な姿になったとはいえ、特攻した5機の内の1機、日本陸軍の98式直接共同偵察機の姿も、ある程度飛行機としての形を留めながら海底に間違いなくあったと思われます・・・。
現在では金属の固まり部分、エンジンだとか、橋脚部分だとか、そういった部分部分としてしかバラバラに残っていない為、そこにかつて飛行機という人工物として作り上げられた、形あるものが存在していたとは信じがたい・・・。
しかし、確かにある程度の形は残してしばらくはその場に鎮座していたものだと考えられるのです・・・。
それを確信したのが、このダイビングで発見した、左右どちらかのもう1本の車軸の存在と位置でした・・・。
飛行機、左右の主翼の下にタイヤを支える車軸が伸びていますが、この軸片側1本は、エモンズの船体のすぐ下、資料では特攻機が特攻したまさにその場所の下海底に落ちているのは、大分前に発見されていました。
物理的に考えても、エモンズが沈むとき、海底に着底した後、船体が右舷に傾いて倒れ、そのまま船体の上に乗っかったままの折れた残骸の車軸がズルッと下に滑り落ちたと考えれば、何の疑問も残りません。
98直協のエンジンそのものも、鉄の塊で全体的には丸い形状のようなものですから、着底後船体が右舷に傾いた時、ズルッと右側に滑り落ちたエンジンが惰性で海底を転がり、今の場所に転がったと考えれば、位置的にも全然納得いく配置と言えます。
98直協のエンジンが発見確認されたとき、当初は、その剝き出しとなったエンジン単体と片側の車軸部分しか特攻機に関係した部品は目に入っていませんでした。
しかし、エンジンを何度も何度調査しているうちに、そのすぐ目の前に計器類の枠が落ちているのに気が付きました。
この時、仮にエンジンが転がってこの位置に来たとしたら、何で、元々コクピットにあるはずの計器類がエンジンと同じ場所にあるのだろうか・・・?
300kg以上もあるエンジンが転がるのに計器などがくっついて一緒に転がれるとは到底思えませんでした・・・。
というのも、アメリカ国防省に保管されている様々な資料とUSS Emmonsの船長の航海日誌、軍への報告書、そして実際の現場検証、そして当時エモンズに乗っていた生き残りの乗り組み員の実際の証言などから照らし合わせて、ここまでの間で出した仮説はこういうものでした・・・。
元々エモンズが特攻を受けたのは伊江島東方沖です。
5機の日本の特攻機がエモンズに特攻。
そしてすべてが命中・・・。
その時エモンズでは、艦橋下部分から物凄い火災と爆発が起こり船上は火の海。
左スクリューが停止、ラダーが利かず、航行不能となり漂流艦となりました・・・。
そして一晩かけて翌朝早朝には現在の古宇利島沖まで洋上を流されています。
そこでエモンズの海没処分が決まり、自軍の姉妹艦によって現在の場所に沈めたわけです。
そこに5機の内4番目に特攻した98直協の、爆発炎上した後に焼け残った鉄の塊、エンジンや車軸部分だけが甲板上に残ってしまいそのままエモンズとともに洋上漂流、そして現在の位置で海没処分で沈めたとき、そのまま甲板上から転げ落ちた・・・という仮説が今までの僕のシナリオでした・・・。
しかし、その後発見した計器類の存在はつじつまが合わず、どうしても説明しきれませんでした・・・。
その後の現場調査では、答えも出せずただ闇雲に、その他の発見物でもないかと淡々と潜っているだけでした・・・。
ところが、去年の終戦記念日の日・・・。
いつもの調査メンバーゲスト、Sさんと潜っているとき、エンジンの後方付近で、なんと砂に埋まっていた操縦桿を発見したのでした・・・!
これにはさすがに興奮してしまいました・・・!
なぜなら、砂の上にポツンと落ちているものを偶然に見つけたというのではなく、見ても分からない砂の下に埋まっていた物を、自らの手で気になって掘り起こして引っ張り出したら、それが98直協の操縦桿だったというのですから、興奮がしばらく冷めやまぬ感じでした・・・。
そしてスロットルレバーや、機銃砲の弾薬ボックスまで出てきました・・・。
つまりその一体の塊は、かつてコクピットだったということです・・・。
自分の中では凄い発見をしたということと、同時に大変なものを見つけてしまったという二つの思いに挟まれる事になってしまったのでした・・・。
コクピット、操縦桿、スロットルレバーの発見したということは、今までの発見や存在は全て飛行機としての備品というか飛行機としての一機械部分だけの事だったのですが、その時僕が発見手にしたものは、67年前、特攻・・・つまり死の直前まで、それまで生きていた誰かが、叫びながら強く握り締めて触れていた最後の最後のその部分・・・。
感慨深いだけではない・・・、何かとてつもなく重いものを背負ってしまった気がしてしまったのでした・・・。
その後からというもの、エモンズから離れて背を向けて、一人黙々47mの海底で砂さらいをする日々が続いてます・・・。
しかし、毎回砂の下からは出るわ出るわ・・・。
機体表面だったであろうジュラルミンの板の数々や、そのつなぎ目に使われていた「平リベット技術」の痕跡やそのもの・・・。
風防ガラスの窓枠・・・、それぞれの部分が落ちている位置を繋ぎ合わせていくと、間違いなくそこにかつて飛行機の形が存在していたことを裏付けるような位置関係になるのでした・・・。
そして、昨日のダイブで決定付けたのが、今まで片側一本しかなかったと思っていた車軸部分のもう一本側が、エンジンから更に40~50m離れた沖合いで見つけたのでした・・・。

エモンズの船体からは100m近く離れた場所です・・・。
これが意味することは、転がるような丸みもない一つの鉄の塊である車軸が、エモンズの甲板から転げ落ちて真下に沈むのではなく、100m以上も離れたところまで流されるわけはないということです。
しかも、98直協のエンジン、コクピット部分、散乱しているジュラルミン板そしてその向こうにもう一本の車軸という配列・・・。
そこにかつて、ある程度の浮力体となる形状や潮の抵抗を受けて流されるような形状のものに、車軸がくっついていなければあそこまで移動できないと言うこと・・・。
つまり主翼としての羽という形がある程度存在していたから、流されてあの位置までたどり着いたのでなければ、説明が付きません・・・。
それは恐らく、エモンズを発見して潜り始めた2000年には、もう既にバラバラになってしまい残骸として形が崩れて散らばった状態になっていたのでしょう・・・。
その時点で、沈んでから既に55年も経過しているのですから、それも十分考えられます・・・。
我々が見つけるのが少し遅かったのでしょう・・・。
以前にブログでも書きましたが、エモンズ発見から10年経ったとき気が付いたのですが、最初は根本から折れて海底に横倒しになっている艦橋にそのままの形で付いていた丸窓部分や出入り口の扉が、いつの間にか艦橋から外れて下に落ちて、今では単なる板状になって砂に埋まってしまいました・・・。
砲台にもベコッと凹んで穴が開いてしまってます・・・。
そうやって、時とともに元々人口物であるレックは朽ち果てていくのですから、仕方ないと言えば仕方の無いことですが、そこにかつてはまだある程度飛行機としての形で98直協の姿があった事は間違いないと思います・・・。
そう言えば思い出すのは、エモンズに最初に潜った当初、古宇利島の古い漁師の一人から、噂では沈没船の後ろの方にゼロ戦も沈んでいるらしい!と僕に言っていたことが思い出されます・・・。
その後からしばらく必死に探しましたが、ゼロ戦などはなかったのです・・・。
ただ一つだけ、エモンズの掃海用具というか機械というか、ソナーブイという機雷発見処理に使う兵器が、固定していたであろう台座の上に乗っかったまま海底に落ちて沈んでいます。
それが見ようによっては、しっかりと小さな飛行機にも見えるのです・・・。
近づいてみれば、飛行機がこんな小さいわけないとすぐにわかりますが、当時僕らより先に見つけて潜っていた潜り漁師が、水深が深いため窒素酔いに掛かったまま、ちょっと上から見て飛行機のような形に見えたから、ソナーブイをそうだと思い込んで勘違いして噂が流れていたのだろうと思っていました・・・。
更に決定付けたのが、その後調べた資料では、特攻したのは伊江島沖という事ですから、ここにゼロ戦が沈んでいるはずないだろうと、この時点でエモンズ周辺の特攻機説は自己完結していました・・・。
しかしあれから14年経った今、現状は違ったのです・・・。
あの時言っていた古い漁師たちのゼロ戦の噂は本当だったのかもしれません・・・。
僕らが潜りだす前に・・・、98直協がまだかろうじて飛行機としての形をとどめているときに、その姿を誰かが本当に見ていたのかもしれません・・・。
今では、その場所には想像と僕の頭の中のイメージでしか98直協は浮かんできませんが、それをもっと伝わりやすいように具体化していけるようがんばって続けていきたいと思います・・・!
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive
ちょうど運よく天候も風向きにも恵まれ、海は久しぶりに見るベタ凪でした!
ん~、幸先いいスタートです!
さて、今回潜るポイントはエモンズと言っても、実際はエモンズを見る為に潜っているのではなく、僕はそのエモンズに特攻した日本の特攻機、98直協を調べる為に潜っていると言ったほうが正しい・・・。
個人的に潜るときや、ピンポイントで98直協のリクエストがある場合は、常にそうした潜り方を行っている・・・。
マニアックな方や遺族会の方達も、少しでも多くの情報が上がることを待ち望んでいることもあり、そういった場合は殆どエモンズに背中を向けて海底にへばりついて、特攻した後の痕跡を辿り、頭の中でプラモデルを組み立てるようなイメージングを行っている現状です・・・。
そして今年一発目のエモンズではなく・・・98直協に潜ってようやく一つの答えに辿りつきました・・・。
エモンズがこの場所に沈んだ1945年当初、そこには無残な姿になったとはいえ、特攻した5機の内の1機、日本陸軍の98式直接共同偵察機の姿も、ある程度飛行機としての形を留めながら海底に間違いなくあったと思われます・・・。
現在では金属の固まり部分、エンジンだとか、橋脚部分だとか、そういった部分部分としてしかバラバラに残っていない為、そこにかつて飛行機という人工物として作り上げられた、形あるものが存在していたとは信じがたい・・・。
しかし、確かにある程度の形は残してしばらくはその場に鎮座していたものだと考えられるのです・・・。
それを確信したのが、このダイビングで発見した、左右どちらかのもう1本の車軸の存在と位置でした・・・。
飛行機、左右の主翼の下にタイヤを支える車軸が伸びていますが、この軸片側1本は、エモンズの船体のすぐ下、資料では特攻機が特攻したまさにその場所の下海底に落ちているのは、大分前に発見されていました。
物理的に考えても、エモンズが沈むとき、海底に着底した後、船体が右舷に傾いて倒れ、そのまま船体の上に乗っかったままの折れた残骸の車軸がズルッと下に滑り落ちたと考えれば、何の疑問も残りません。
98直協のエンジンそのものも、鉄の塊で全体的には丸い形状のようなものですから、着底後船体が右舷に傾いた時、ズルッと右側に滑り落ちたエンジンが惰性で海底を転がり、今の場所に転がったと考えれば、位置的にも全然納得いく配置と言えます。
98直協のエンジンが発見確認されたとき、当初は、その剝き出しとなったエンジン単体と片側の車軸部分しか特攻機に関係した部品は目に入っていませんでした。
しかし、エンジンを何度も何度調査しているうちに、そのすぐ目の前に計器類の枠が落ちているのに気が付きました。
この時、仮にエンジンが転がってこの位置に来たとしたら、何で、元々コクピットにあるはずの計器類がエンジンと同じ場所にあるのだろうか・・・?
300kg以上もあるエンジンが転がるのに計器などがくっついて一緒に転がれるとは到底思えませんでした・・・。
というのも、アメリカ国防省に保管されている様々な資料とUSS Emmonsの船長の航海日誌、軍への報告書、そして実際の現場検証、そして当時エモンズに乗っていた生き残りの乗り組み員の実際の証言などから照らし合わせて、ここまでの間で出した仮説はこういうものでした・・・。
元々エモンズが特攻を受けたのは伊江島東方沖です。
5機の日本の特攻機がエモンズに特攻。
そしてすべてが命中・・・。
その時エモンズでは、艦橋下部分から物凄い火災と爆発が起こり船上は火の海。
左スクリューが停止、ラダーが利かず、航行不能となり漂流艦となりました・・・。
そして一晩かけて翌朝早朝には現在の古宇利島沖まで洋上を流されています。
そこでエモンズの海没処分が決まり、自軍の姉妹艦によって現在の場所に沈めたわけです。
そこに5機の内4番目に特攻した98直協の、爆発炎上した後に焼け残った鉄の塊、エンジンや車軸部分だけが甲板上に残ってしまいそのままエモンズとともに洋上漂流、そして現在の位置で海没処分で沈めたとき、そのまま甲板上から転げ落ちた・・・という仮説が今までの僕のシナリオでした・・・。
しかし、その後発見した計器類の存在はつじつまが合わず、どうしても説明しきれませんでした・・・。
その後の現場調査では、答えも出せずただ闇雲に、その他の発見物でもないかと淡々と潜っているだけでした・・・。
ところが、去年の終戦記念日の日・・・。
いつもの調査メンバーゲスト、Sさんと潜っているとき、エンジンの後方付近で、なんと砂に埋まっていた操縦桿を発見したのでした・・・!
これにはさすがに興奮してしまいました・・・!
なぜなら、砂の上にポツンと落ちているものを偶然に見つけたというのではなく、見ても分からない砂の下に埋まっていた物を、自らの手で気になって掘り起こして引っ張り出したら、それが98直協の操縦桿だったというのですから、興奮がしばらく冷めやまぬ感じでした・・・。
そしてスロットルレバーや、機銃砲の弾薬ボックスまで出てきました・・・。
つまりその一体の塊は、かつてコクピットだったということです・・・。
自分の中では凄い発見をしたということと、同時に大変なものを見つけてしまったという二つの思いに挟まれる事になってしまったのでした・・・。
コクピット、操縦桿、スロットルレバーの発見したということは、今までの発見や存在は全て飛行機としての備品というか飛行機としての一機械部分だけの事だったのですが、その時僕が発見手にしたものは、67年前、特攻・・・つまり死の直前まで、それまで生きていた誰かが、叫びながら強く握り締めて触れていた最後の最後のその部分・・・。
感慨深いだけではない・・・、何かとてつもなく重いものを背負ってしまった気がしてしまったのでした・・・。
その後からというもの、エモンズから離れて背を向けて、一人黙々47mの海底で砂さらいをする日々が続いてます・・・。
しかし、毎回砂の下からは出るわ出るわ・・・。
機体表面だったであろうジュラルミンの板の数々や、そのつなぎ目に使われていた「平リベット技術」の痕跡やそのもの・・・。
風防ガラスの窓枠・・・、それぞれの部分が落ちている位置を繋ぎ合わせていくと、間違いなくそこにかつて飛行機の形が存在していたことを裏付けるような位置関係になるのでした・・・。
そして、昨日のダイブで決定付けたのが、今まで片側一本しかなかったと思っていた車軸部分のもう一本側が、エンジンから更に40~50m離れた沖合いで見つけたのでした・・・。
エモンズの船体からは100m近く離れた場所です・・・。
これが意味することは、転がるような丸みもない一つの鉄の塊である車軸が、エモンズの甲板から転げ落ちて真下に沈むのではなく、100m以上も離れたところまで流されるわけはないということです。
しかも、98直協のエンジン、コクピット部分、散乱しているジュラルミン板そしてその向こうにもう一本の車軸という配列・・・。
そこにかつて、ある程度の浮力体となる形状や潮の抵抗を受けて流されるような形状のものに、車軸がくっついていなければあそこまで移動できないと言うこと・・・。
つまり主翼としての羽という形がある程度存在していたから、流されてあの位置までたどり着いたのでなければ、説明が付きません・・・。
それは恐らく、エモンズを発見して潜り始めた2000年には、もう既にバラバラになってしまい残骸として形が崩れて散らばった状態になっていたのでしょう・・・。
その時点で、沈んでから既に55年も経過しているのですから、それも十分考えられます・・・。
我々が見つけるのが少し遅かったのでしょう・・・。
以前にブログでも書きましたが、エモンズ発見から10年経ったとき気が付いたのですが、最初は根本から折れて海底に横倒しになっている艦橋にそのままの形で付いていた丸窓部分や出入り口の扉が、いつの間にか艦橋から外れて下に落ちて、今では単なる板状になって砂に埋まってしまいました・・・。
砲台にもベコッと凹んで穴が開いてしまってます・・・。
そうやって、時とともに元々人口物であるレックは朽ち果てていくのですから、仕方ないと言えば仕方の無いことですが、そこにかつてはまだある程度飛行機としての形で98直協の姿があった事は間違いないと思います・・・。
そう言えば思い出すのは、エモンズに最初に潜った当初、古宇利島の古い漁師の一人から、噂では沈没船の後ろの方にゼロ戦も沈んでいるらしい!と僕に言っていたことが思い出されます・・・。
その後からしばらく必死に探しましたが、ゼロ戦などはなかったのです・・・。
ただ一つだけ、エモンズの掃海用具というか機械というか、ソナーブイという機雷発見処理に使う兵器が、固定していたであろう台座の上に乗っかったまま海底に落ちて沈んでいます。
それが見ようによっては、しっかりと小さな飛行機にも見えるのです・・・。
近づいてみれば、飛行機がこんな小さいわけないとすぐにわかりますが、当時僕らより先に見つけて潜っていた潜り漁師が、水深が深いため窒素酔いに掛かったまま、ちょっと上から見て飛行機のような形に見えたから、ソナーブイをそうだと思い込んで勘違いして噂が流れていたのだろうと思っていました・・・。
更に決定付けたのが、その後調べた資料では、特攻したのは伊江島沖という事ですから、ここにゼロ戦が沈んでいるはずないだろうと、この時点でエモンズ周辺の特攻機説は自己完結していました・・・。
しかしあれから14年経った今、現状は違ったのです・・・。
あの時言っていた古い漁師たちのゼロ戦の噂は本当だったのかもしれません・・・。
僕らが潜りだす前に・・・、98直協がまだかろうじて飛行機としての形をとどめているときに、その姿を誰かが本当に見ていたのかもしれません・・・。
今では、その場所には想像と僕の頭の中のイメージでしか98直協は浮かんできませんが、それをもっと伝わりやすいように具体化していけるようがんばって続けていきたいと思います・・・!
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
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Posted by TAKEちゃん at 14:39│Comments(0)
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