2013年08月20日

特攻機の残骸・・・

先日発見した特攻機の外壁を形成していたであろうと思われる金属板はやっぱりジュラルミン材質の可能性が高いようだ・・・。

あれだけ今でもピカピカに光っているのだから、どうしても流し台のステンレス素材が真っ先に思い浮かんでしまう・・・。

特攻機の残骸・・・


また、もしアルミだったとしたら、この68年間の海底で、何かしらの電蝕を起こしているはずなのだが、その痕跡などは全く無い・・・。

まさか、レックダイビング→テクニカルダイビング→戦史調査→金属の歴史と勉強・・・に繋がっていくとは夢にも思わなかった・・・。

それこそ今必死に「金属」についての日本における歴史と背景を猛勉強中である!・・・ダイバーだけど・・・。

ジュラルミンはかつて日本で開発された金属素材で、いわばアルミ合金と言える材質です。

それも融合比率を変えることで超ジュラルミンになったり、超々ジュラルミンになったりしているわけで、今でもジェット旅客機の機体表面にも使われているし、その最強のジュラルミンである超々ジュラルミンが一番最初に使われたのが、世界に誇るお馴染み最初の頃のゼロ戦の機体材質だったようです・・・。

98式直協はその超々ジュラルミンが開発される以前に製造された機体なので、それでないことは間違いないが、どっちにしろ日本の戦闘機であるし、全金属製と謳っているだけにジュラルミン材質であった可能性は限りなく高い・・・。

しかし、ステンレス材質も第一次世界大戦の頃のヨーロッパの戦闘機に使用されていた実績もあることから、その線も完全には否定できないのである・・・。

ステンレス協会の話と歴史書によると、日本にステンレス素材が入ってきたのが1918年だったと言う・・・。

まだ高価ではあったが、その後国内の工業会に広まったとの事なので、98直協が製造設計される頃には当然身近にステンレス素材もあったことで、全金属製と謳われた98直協の機体材質にステンレスが使われなかったという保証は無い・・・。

なので、次回はこの金属の一部を切り取って一旦持ち帰って、研究所で分析にかけて見ようということになりました・・・。

まだまだ当面調査中になるのでこの先の画像はあえて載せませんが、実際は、特攻兵が特攻のその直前まで握っていたであろう生々しい操縦桿やスロットルレバー、風防ガラスの窓枠、座席シートの台座などなど・・・、以前とは違って、特攻したその人間が直接その瞬間まで触れていたであろう部分部分が見つかり、見つけ出した喜びとは裏腹に何とも複雑な気分でいます・・・。

画像や写真は、活動に支援や理解を頂いて交流させてもらっている遺族会や陸軍特攻兵の生き残りの方たちにも既に渡され、当事者からの記憶を頼りに検証をしてもらっています・・・。

きっと近い将来我々の手でゃんと解明していきます!

そしてあの場所はもう潜る目的の違うポイントなので、エモンズレックとは明確に違うポイントとして分けようと考えてます。

そうなると、ボートの係留ブイも新たにもう一個設置しないといけないかなー・・・!





O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive



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