2010年05月21日
ジンベエザメ学習SPコース
最近では結構世界中のあちこちで観る事ができるようになりましたが、そーですねー、今から約20年前くらいまでは、"ダイバーが一生に一度遭えるか遭えないか"と言われていた存在が「ジンベエザメ」でした・・・。

今ではダイバーではない一般の方ですら、ジンベエザメを知るようになったわけですが、その大きなターニングポイントとなった舞台が、西オーストラリアのエクスマウスという、当時人口1000人にも満たない小さな町からでした。
エクスマウスの沖合いには世界で二番目に大きなニンガルーリーフというサンゴ礁が広がり、3月のサンゴの産卵にあわせてジンベエは毎年現れます。
地元の漁師はそんなジンベエの存在を昔から知っていましたが、まるで地の果てのような遠くて小さなそのエクスマウスに一般のダイバーが訪れる事は殆どなく、ましてや外国からの観光客など訪れるすべもなくいわゆる漁業だけの町だったのです。
ある日、エクスマウスから約1300km南下した州都パースという街のダイブショップにオーストラリア人のダイバー客が訪れ、スタッフに「エクスマウスで巨大なWhale Sharkに遭遇した!」と、興奮しながら話していました。
当時、まだダイブマスターとして駆け出しで、そのショップで雑用的に働いていた私は、Whale Sharkという単語を知らず、マネージャーにその説明を受け、初めてWhale Sharkが以前大阪の海遊館で観たジンベエザメだと知ったのでした。
それから我々はこのジンベエザメを世界初のダイブツアーとして売り出す為のあらゆる挑戦が始まりました。
パースからエクスマウスまでは赤茶げた大地のブッシュの中を永遠とまっすぐに伸びるハイウェイロードを、車で約17時間かけて到着できる場所であった。
街から次の街までは最低300kmは離れていて、街ごとで必ず給油しながら行かないと、途中でガス欠になっても、何にもない荒野のブッシュの中でひたすら野生のカンガルーやらエミューやら羊などに囲まれる羽目になるだけであった・・・。
そんな地の果てのような小さな漁師町だったエクスマウスで、漁師のボートをチャーターしてジンベエ探しに出たのはいいのだが、やはりあの広い海原からジンベエをピンポイントで探し出す事は難しい・・・。
そこで出たアイデアが、後にスポッター役として活躍する事になる、セスナをチャーターして上空から確かめる事でした。
国がワイルドで広いせいもあり、結構セスナでの移動は身近な存在で、当時は4人乗りのセスナを1時間チャーターしても確か$70くらいだったと思う。
そして空からニンガルーリーフ上空を飛んでもらったらびっくりでした・・・。
40ftのボートよりデカイサイズのジンベエザメが、何十頭と水面近くを右往左往と泳いでいるのです・・・。
しかし上空から観ていても、それらボートはすぐ脇に泳いでいるジンベエザメに気が付かないのです・・・。
そう、ボートからの水面レベルではどんなに近くにいても中々発見できないのです。
そこで、今度のアイデアは、無線で上空のセスナからボートに連絡をして無線でボートをジンベエの進路に誘導するというものでした。
これが効果覿面!
ほぼ100%の確実性で誰もがジンベエザメを水中で目の当たりにする事に成功したのです・・・。
最初は日本のNHKを取材で呼びました。
僕はまだペエペエだったので、撮影隊のお手伝いや雑用係。
この映像が日本のお茶の間に流れて大ブレイク!
翌年は、イギリスのBBC放送とアメリカのABC放送を呼んで、欧米でも大ブレイク!
あの人口1000人にも満たなかった小さな町が大変な騒ぎとなり、日を追うごとにダイビングショップが増え、チャーターボートが増え、リゾートホテルが建ち、マリーナが建設されるまでに至りました。
オーストラリア政府や観光局も最大のバックアップに移り、僕が知る限りでは最大の本物の町興しになってしまいました・・・。
何とジンベエザメの存在だけで・・・。
そこから今までには存在しなかったジンベエザメの専門研究者も現れ、学術面からもジンベエの研究に乗り出し、水産庁、環境保全局、ダイビング業者、ボート事業者、大学研究者、観光政府などと協同でチームもつくり観光発展と同時にジンベエの生態の調査と保全活動にも乗り出したのです。
最初は、タンクをつけてScuba Divingとしてジンベエにアプローチしていましたが、研究者のほうから、どうも泡を嫌っているようなので、少しでもプロテクトする意味でもScubaは禁止しようという提案がなされ、我々は幅広い意味と将来性も考慮し、当然承諾、翌年からはスノーケリングオンリーでの開催となりました。
生態の調査研究自体では、300頭のジンベエの背びれに発信機をタギングして、10分おきにジンベエから発信される電波をレンタルしたフランスの人工衛星でキャッチして、今度は衛星から我々のコンピューターモニターに飛ばし返してもらうサテライトトラッキング調査を約5年間行い、実に大変貴重なジンベエの知られざる生態データも取る事に成功しました。
僕が在籍していた間で約500頭の調査を行い、1頭1頭全て違いがあることも判り500頭の固体識別もできました。
おかげで、このジンベエ1頭1頭がどこから来てどこに行くのかも、ある程度判るようになったのです。
当時、始めは単にダイビングプログラムの一つのツアー目的として飛びついた事だったのですが、こんなに世界に影響を及ぼすものになるとは夢にも思わなかったのですが、この一連の経験が僕の考える本来将来に見据えるべきダイビングマーケットの理想と根源になった事は間違いありません。
「ルール作り」と「共存」と「合理性」。
ジンベエザメをテーマに、様々な分野からの不特定多数が共有する事になったので、結果的にそれらのキーワードがとても重要な事でした。
当時携わる全ての者が、これをちゃんと理解して守ったおかげで、観光業から地元産業、研究者、生態調査に至るまで全てにバランスよく行渡った結果だったと思っています。
何だか他のダイビングポイントにもそっくり当てはめられる実績ですよね!
そんな研究データと経験体験から、ここ沖縄でも「ジンベエザメ学習SPコース」で学び取る事ができます!
課題の中には実際にジンベエザメの体長計測を行ったり、その割り出し方の計算方法などオリジナル情報満載です!
是非今年はジンベエザメ学習SPコースにチャレンジしてみませんか・・・?

今回、関西からご参加頂いたお二人!
メチャメチャ必死でしたねー・・・!
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive
今ではダイバーではない一般の方ですら、ジンベエザメを知るようになったわけですが、その大きなターニングポイントとなった舞台が、西オーストラリアのエクスマウスという、当時人口1000人にも満たない小さな町からでした。
エクスマウスの沖合いには世界で二番目に大きなニンガルーリーフというサンゴ礁が広がり、3月のサンゴの産卵にあわせてジンベエは毎年現れます。
地元の漁師はそんなジンベエの存在を昔から知っていましたが、まるで地の果てのような遠くて小さなそのエクスマウスに一般のダイバーが訪れる事は殆どなく、ましてや外国からの観光客など訪れるすべもなくいわゆる漁業だけの町だったのです。
ある日、エクスマウスから約1300km南下した州都パースという街のダイブショップにオーストラリア人のダイバー客が訪れ、スタッフに「エクスマウスで巨大なWhale Sharkに遭遇した!」と、興奮しながら話していました。
当時、まだダイブマスターとして駆け出しで、そのショップで雑用的に働いていた私は、Whale Sharkという単語を知らず、マネージャーにその説明を受け、初めてWhale Sharkが以前大阪の海遊館で観たジンベエザメだと知ったのでした。
それから我々はこのジンベエザメを世界初のダイブツアーとして売り出す為のあらゆる挑戦が始まりました。
パースからエクスマウスまでは赤茶げた大地のブッシュの中を永遠とまっすぐに伸びるハイウェイロードを、車で約17時間かけて到着できる場所であった。
街から次の街までは最低300kmは離れていて、街ごとで必ず給油しながら行かないと、途中でガス欠になっても、何にもない荒野のブッシュの中でひたすら野生のカンガルーやらエミューやら羊などに囲まれる羽目になるだけであった・・・。
そんな地の果てのような小さな漁師町だったエクスマウスで、漁師のボートをチャーターしてジンベエ探しに出たのはいいのだが、やはりあの広い海原からジンベエをピンポイントで探し出す事は難しい・・・。
そこで出たアイデアが、後にスポッター役として活躍する事になる、セスナをチャーターして上空から確かめる事でした。
国がワイルドで広いせいもあり、結構セスナでの移動は身近な存在で、当時は4人乗りのセスナを1時間チャーターしても確か$70くらいだったと思う。
そして空からニンガルーリーフ上空を飛んでもらったらびっくりでした・・・。
40ftのボートよりデカイサイズのジンベエザメが、何十頭と水面近くを右往左往と泳いでいるのです・・・。
しかし上空から観ていても、それらボートはすぐ脇に泳いでいるジンベエザメに気が付かないのです・・・。
そう、ボートからの水面レベルではどんなに近くにいても中々発見できないのです。
そこで、今度のアイデアは、無線で上空のセスナからボートに連絡をして無線でボートをジンベエの進路に誘導するというものでした。
これが効果覿面!
ほぼ100%の確実性で誰もがジンベエザメを水中で目の当たりにする事に成功したのです・・・。
最初は日本のNHKを取材で呼びました。
僕はまだペエペエだったので、撮影隊のお手伝いや雑用係。
この映像が日本のお茶の間に流れて大ブレイク!
翌年は、イギリスのBBC放送とアメリカのABC放送を呼んで、欧米でも大ブレイク!
あの人口1000人にも満たなかった小さな町が大変な騒ぎとなり、日を追うごとにダイビングショップが増え、チャーターボートが増え、リゾートホテルが建ち、マリーナが建設されるまでに至りました。
オーストラリア政府や観光局も最大のバックアップに移り、僕が知る限りでは最大の本物の町興しになってしまいました・・・。
何とジンベエザメの存在だけで・・・。
そこから今までには存在しなかったジンベエザメの専門研究者も現れ、学術面からもジンベエの研究に乗り出し、水産庁、環境保全局、ダイビング業者、ボート事業者、大学研究者、観光政府などと協同でチームもつくり観光発展と同時にジンベエの生態の調査と保全活動にも乗り出したのです。
最初は、タンクをつけてScuba Divingとしてジンベエにアプローチしていましたが、研究者のほうから、どうも泡を嫌っているようなので、少しでもプロテクトする意味でもScubaは禁止しようという提案がなされ、我々は幅広い意味と将来性も考慮し、当然承諾、翌年からはスノーケリングオンリーでの開催となりました。
生態の調査研究自体では、300頭のジンベエの背びれに発信機をタギングして、10分おきにジンベエから発信される電波をレンタルしたフランスの人工衛星でキャッチして、今度は衛星から我々のコンピューターモニターに飛ばし返してもらうサテライトトラッキング調査を約5年間行い、実に大変貴重なジンベエの知られざる生態データも取る事に成功しました。
僕が在籍していた間で約500頭の調査を行い、1頭1頭全て違いがあることも判り500頭の固体識別もできました。
おかげで、このジンベエ1頭1頭がどこから来てどこに行くのかも、ある程度判るようになったのです。
当時、始めは単にダイビングプログラムの一つのツアー目的として飛びついた事だったのですが、こんなに世界に影響を及ぼすものになるとは夢にも思わなかったのですが、この一連の経験が僕の考える本来将来に見据えるべきダイビングマーケットの理想と根源になった事は間違いありません。
「ルール作り」と「共存」と「合理性」。
ジンベエザメをテーマに、様々な分野からの不特定多数が共有する事になったので、結果的にそれらのキーワードがとても重要な事でした。
当時携わる全ての者が、これをちゃんと理解して守ったおかげで、観光業から地元産業、研究者、生態調査に至るまで全てにバランスよく行渡った結果だったと思っています。
何だか他のダイビングポイントにもそっくり当てはめられる実績ですよね!
そんな研究データと経験体験から、ここ沖縄でも「ジンベエザメ学習SPコース」で学び取る事ができます!
課題の中には実際にジンベエザメの体長計測を行ったり、その割り出し方の計算方法などオリジナル情報満載です!
是非今年はジンベエザメ学習SPコースにチャレンジしてみませんか・・・?
今回、関西からご参加頂いたお二人!
メチャメチャ必死でしたねー・・・!
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive
Posted by TAKEちゃん at 19:07│Comments(0)
│ダイビング全般
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