
2009年10月09日
浮上手順のルーツ
ダイビングを安全に楽しむという事は、ある意味安全に水面に戻れるという事でもある。
物理的に水中という高圧環境下の特質性を考えると、スクーバダイビングの最大のポイントは「減圧症にかからないように行う」と定言しても構わないだろう。
本来水中という環境に人間が潜り滞在するという事は、物理学的にも生理学的にも大変複雑で簡単な事ではない。
だが、ある一定の枠と制限を持たせて行うのなら、その複雑さもかなり軽減され水面に戻るまでの手順もさほど難しくはないという事で設けられた枠と制限が現在のレジャーダイビングなのである。
現役のレジャーダイビングインストラクターも含め、なぜ最大水深が40mに設けられているのか?なぜ浮上速度が1分間18mになっているのか?を明確に示せる人は恐らく少ないだろう。
なぜなら、一般レジャーダイビングのインストラクター講習では教えていないからである。
これは、それらの制限を超えたダイビングを積極的に行うテクニカルダイバー達でないと答えを導き出すのは難しいだろう・・・。
今日はそれらの枠と制限を越えて潜る、減圧ダイビングを前提としたテクニカルダイビングをにおいての浮上方法について、あるテクニカル指導団体のマニュアルに面白い事が書かれていたのでちょっと紹介します。
浮上方法を厳密に定義する事は大変難しい・・・。
米国海軍のような古いダイブテーブルの考え方では、最初の減圧停止深度までは比較的素早い直線的な浮上をし、浅い水面近くで横に長い停止を行うというものである。
スクーバダイビングと言うもの自体が、アメリカやヨーロッパで活性化され研究されてきたという背景を考えると、欧米の研究採用データをトレースしてしまうのは当たり前かもしれない。
しかし面白い事に、その後今日のスタンダート化されてきた浮上手順と方法は、実は日本人のダイビング技術が現在の世界モデルとなっているのです。
過去、ヒルズ博士の減圧理論発表で有名な事例となったのは、和歌山を中心とした真珠養殖用のアコヤ貝や白蝶貝採りダイバー達の浮上手順でした。
元々アクアラングも知らない素潜り専門で行っていた彼らは、ある日を境に突然スクーバ器材とコンプレッサーを手にする事となり、より深い水深まで採取しに行くようになった。
しかしそこには体内窒素を管理するダイブテーブルも安全策も何もなかった。
そして数々の減圧症を繰り返し、彼らはいつの間にか誰に教わるでもなく独自の減圧手順と浮上方法を身に着けていったという。
それが、直接水面に浮上できる水深10m付近に到達するまでの中間水深で、壁に沿ってゆっくり貝を採取しながら時間をかけて浮上する方法だったという。
このスタイルは、それまでスタンダードだったアメリカ海軍のダイブテーブルに従った直線的な浮上手順と真逆の方法だったが、確実な実績が証明され採用されるようになっていったという。
ちょっと話は飛ぶが、確かに僕も以前西オーストラリアに住んでいたとき、知人から直接こんな話を聞いた事があった・・・。
ひょんなきっかけで海野さんという日本人のおじいちゃんと知り合う事になった。
海野さんは10年前当時で、既に西オーストラリアに30年くらい住んでいる方だった。
元々、和歌山の太地町出身の方で、若い頃ブルームという町に真珠養殖の技術を持ってパールダイバーとして一攫千金を求めはるばる渡ってきたという。
和歌山の太地町という町は日本でも大変特殊な町で、奈良時代以前から「捕鯨の町」として捕鯨技術と日本の食文化と、そして歴史を育んできた町である。
また捕鯨以外でも太地の人は真珠養殖の特殊な技術も持っており、正に海と共に生きてきた本物の「海人」民族である。
しかしそれでも太地町に生まれた男の大半は捕鯨者になるという特殊な環境で、戦後近代捕鯨に変わってからも、捕鯨で一番重要な銛を打ち込む役の砲手は、絶対太地出身の人しかなれなかった。
多分21世紀となった現在でも、南極で行われている調査捕鯨では、砲手だけは太地出身の人が行っている事だと思う。
聞いたところ、海野さんの家系もお父さんも、おじいちゃんも、ひいおじいちゃんも、そのまたひいひいおじいちゃんも、ずーっと奈良時代からの捕鯨一家だったという。
当然海野さん自身も、海で生きるべく町の子供として、小さい頃から町の大人達に真珠養殖の技術や捕鯨技術、そして潜水技術など、海に生きる全ての技術を叩き込まれて育ってきたらしい。
ところが海野さんはそんな決められた人生がたまらなく嫌になり、二十歳で新天地を求め町を出たのだという。
そして遥か西オーストラリア・ブルームという町で真珠養殖に必要な白蝶貝が採れることを知り、現地でパールダイバーとしてスタートしたのだという。
その時、アメリカのゴールドラッシュさながら、ブルームの町は一攫千金を求めて、世界中から真珠貝採りのパールダイバー達が終結していたという。
そんな作業の毎日で、周りの白人ダイバー達は毎日バタバタ潜水病で倒れていったという。
当時海野さんもその潜水病の正体が減圧症だとは知る由もなく、「兎に角白人は潜水に弱い」と単に思っていたらしい。
だが、実は子供の頃から町の大人たちに、潜水病にならないよう編み出した独自の浮上手順の潜水技術を知らず知らずに叩き込まれていたから、それが普通だと思っていたのだろう。
そんな技術を知らない白人達は結局減圧症に倒れ苦しみ、彼らは勝手にアジア人の方が潜水にむいていると言っていたのだと言う。
実は海野さんだけではなく、海での仕事を求め世界に散ったその他の太地出身のダイバー達も同じ結果を残し、世界中の潜水現場でこの実績と技術を広めていた。
そこである日、世界の学者や研究者達の目に留まり、日本人の潜水技術が研究されたことで現在のダイビン技術と浮上手順のベースを作る結果となったのだった。
僕は以前直接本人からこんな話を聴いていたにも拘らず、今まですっかり忘れていた。
ところが先日テクニカルダイビング指導団体のマニュアルを読んでいて、このことが書かれており海野さんの事をハッと思い出したのだった・・・。
同じ日本人として、折角誇れる世界のスタンダードを作り上げた日本の技術なのだから、現在のレジャーダイビングにおいてもそれが無駄にならないよう是非忠実に守りたいものである・・・。
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive
物理的に水中という高圧環境下の特質性を考えると、スクーバダイビングの最大のポイントは「減圧症にかからないように行う」と定言しても構わないだろう。
本来水中という環境に人間が潜り滞在するという事は、物理学的にも生理学的にも大変複雑で簡単な事ではない。
だが、ある一定の枠と制限を持たせて行うのなら、その複雑さもかなり軽減され水面に戻るまでの手順もさほど難しくはないという事で設けられた枠と制限が現在のレジャーダイビングなのである。
現役のレジャーダイビングインストラクターも含め、なぜ最大水深が40mに設けられているのか?なぜ浮上速度が1分間18mになっているのか?を明確に示せる人は恐らく少ないだろう。
なぜなら、一般レジャーダイビングのインストラクター講習では教えていないからである。
これは、それらの制限を超えたダイビングを積極的に行うテクニカルダイバー達でないと答えを導き出すのは難しいだろう・・・。
今日はそれらの枠と制限を越えて潜る、減圧ダイビングを前提としたテクニカルダイビングをにおいての浮上方法について、あるテクニカル指導団体のマニュアルに面白い事が書かれていたのでちょっと紹介します。
浮上方法を厳密に定義する事は大変難しい・・・。
米国海軍のような古いダイブテーブルの考え方では、最初の減圧停止深度までは比較的素早い直線的な浮上をし、浅い水面近くで横に長い停止を行うというものである。
スクーバダイビングと言うもの自体が、アメリカやヨーロッパで活性化され研究されてきたという背景を考えると、欧米の研究採用データをトレースしてしまうのは当たり前かもしれない。
しかし面白い事に、その後今日のスタンダート化されてきた浮上手順と方法は、実は日本人のダイビング技術が現在の世界モデルとなっているのです。
過去、ヒルズ博士の減圧理論発表で有名な事例となったのは、和歌山を中心とした真珠養殖用のアコヤ貝や白蝶貝採りダイバー達の浮上手順でした。
元々アクアラングも知らない素潜り専門で行っていた彼らは、ある日を境に突然スクーバ器材とコンプレッサーを手にする事となり、より深い水深まで採取しに行くようになった。
しかしそこには体内窒素を管理するダイブテーブルも安全策も何もなかった。
そして数々の減圧症を繰り返し、彼らはいつの間にか誰に教わるでもなく独自の減圧手順と浮上方法を身に着けていったという。
それが、直接水面に浮上できる水深10m付近に到達するまでの中間水深で、壁に沿ってゆっくり貝を採取しながら時間をかけて浮上する方法だったという。
このスタイルは、それまでスタンダードだったアメリカ海軍のダイブテーブルに従った直線的な浮上手順と真逆の方法だったが、確実な実績が証明され採用されるようになっていったという。
ちょっと話は飛ぶが、確かに僕も以前西オーストラリアに住んでいたとき、知人から直接こんな話を聞いた事があった・・・。
ひょんなきっかけで海野さんという日本人のおじいちゃんと知り合う事になった。
海野さんは10年前当時で、既に西オーストラリアに30年くらい住んでいる方だった。
元々、和歌山の太地町出身の方で、若い頃ブルームという町に真珠養殖の技術を持ってパールダイバーとして一攫千金を求めはるばる渡ってきたという。
和歌山の太地町という町は日本でも大変特殊な町で、奈良時代以前から「捕鯨の町」として捕鯨技術と日本の食文化と、そして歴史を育んできた町である。
また捕鯨以外でも太地の人は真珠養殖の特殊な技術も持っており、正に海と共に生きてきた本物の「海人」民族である。
しかしそれでも太地町に生まれた男の大半は捕鯨者になるという特殊な環境で、戦後近代捕鯨に変わってからも、捕鯨で一番重要な銛を打ち込む役の砲手は、絶対太地出身の人しかなれなかった。
多分21世紀となった現在でも、南極で行われている調査捕鯨では、砲手だけは太地出身の人が行っている事だと思う。
聞いたところ、海野さんの家系もお父さんも、おじいちゃんも、ひいおじいちゃんも、そのまたひいひいおじいちゃんも、ずーっと奈良時代からの捕鯨一家だったという。
当然海野さん自身も、海で生きるべく町の子供として、小さい頃から町の大人達に真珠養殖の技術や捕鯨技術、そして潜水技術など、海に生きる全ての技術を叩き込まれて育ってきたらしい。
ところが海野さんはそんな決められた人生がたまらなく嫌になり、二十歳で新天地を求め町を出たのだという。
そして遥か西オーストラリア・ブルームという町で真珠養殖に必要な白蝶貝が採れることを知り、現地でパールダイバーとしてスタートしたのだという。
その時、アメリカのゴールドラッシュさながら、ブルームの町は一攫千金を求めて、世界中から真珠貝採りのパールダイバー達が終結していたという。
そんな作業の毎日で、周りの白人ダイバー達は毎日バタバタ潜水病で倒れていったという。
当時海野さんもその潜水病の正体が減圧症だとは知る由もなく、「兎に角白人は潜水に弱い」と単に思っていたらしい。
だが、実は子供の頃から町の大人たちに、潜水病にならないよう編み出した独自の浮上手順の潜水技術を知らず知らずに叩き込まれていたから、それが普通だと思っていたのだろう。
そんな技術を知らない白人達は結局減圧症に倒れ苦しみ、彼らは勝手にアジア人の方が潜水にむいていると言っていたのだと言う。
実は海野さんだけではなく、海での仕事を求め世界に散ったその他の太地出身のダイバー達も同じ結果を残し、世界中の潜水現場でこの実績と技術を広めていた。
そこである日、世界の学者や研究者達の目に留まり、日本人の潜水技術が研究されたことで現在のダイビン技術と浮上手順のベースを作る結果となったのだった。
僕は以前直接本人からこんな話を聴いていたにも拘らず、今まですっかり忘れていた。
ところが先日テクニカルダイビング指導団体のマニュアルを読んでいて、このことが書かれており海野さんの事をハッと思い出したのだった・・・。
同じ日本人として、折角誇れる世界のスタンダードを作り上げた日本の技術なのだから、現在のレジャーダイビングにおいてもそれが無駄にならないよう是非忠実に守りたいものである・・・。
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
http://www7.ocn.ne.jp/~o2dive
Posted by TAKEちゃん at 14:39│Comments(3)
この記事へのコメント
日本人は繊細ですね
技術もさることながら、器材やダイビングに関わるものを日本から発信して行きたいものですね。
技術もさることながら、器材やダイビングに関わるものを日本から発信して行きたいものですね。
Posted by せらぴぃー at 2009年10月09日 14:56
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ダイビングだけじゃなく、世界には日本発信の技術が本当に沢山あるんですよ。
でも、残念なことに宣伝というかアピールがとても下手な民族でもあるんですよね・・・。
逆にアメリカはそこが上手で、あたかも100% made in USAかと世の中勘違いしている技術や商品っていうのも沢山ありますよね・・・。
僕もダイビングを通じて、もう一度何かで日本人発信の分野を築けたらいいと思ってます!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ダイビングだけじゃなく、世界には日本発信の技術が本当に沢山あるんですよ。
でも、残念なことに宣伝というかアピールがとても下手な民族でもあるんですよね・・・。
逆にアメリカはそこが上手で、あたかも100% made in USAかと世の中勘違いしている技術や商品っていうのも沢山ありますよね・・・。
僕もダイビングを通じて、もう一度何かで日本人発信の分野を築けたらいいと思ってます!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
Posted by TAKE at 2009年10月09日 23:19
中間水深で壁に沿って貝を採りながらゆっくり浮上する方法、安全面と実益を兼ねた一石二鳥のすばらしい手順ですね!
こうした御先祖様の英知にあやかりたいものです。
こうした御先祖様の英知にあやかりたいものです。
Posted by 大佐 at 2009年10月17日 09:19
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。