2008年12月24日
海底戦跡地として・・・
現在の沖縄は完全に観光立憲であり、年々入域者数をうなぎのぼりで更新している。
その中でも取り分け綺麗な南国の「海」が最も大きな売りであり、マリ
ンレジャーやダイビング目的としての観光客があとを絶たない。
ダイビング事業者も、ちゃんと正規に届出を出しているところだけでも、この沖縄本島の中だけで優に330店舗以上が存在している。
その主要業務は日夜ダイバー客を海中に案内しサンゴやトロピカルな魚たちを見せてその業務を成立させている。
真っ白な海底の砂、碧く澄んだ綺麗な海、華やかで色鮮やかなサンゴ達、そしてそれに群がる色とりどりのトロピカルな魚達・・・。
あー癒される!・・・素敵!・・・楽しい!!・・・。
これが最も一般的な観光客ダイバーの感想であり、引率する沖縄のガイドダイバー達の任務のようなものである。
しかし同じガイドダイバーの立場として僕の目線だけは違っていた・・・。
そんな素敵で楽しい21世紀のこの沖縄の海とは裏腹に、ここは恐ろしく悲しい海でもあった・・・。
63年前までは、人が血で血を洗う戦場のど真ん中の海でもあったのだ・・・。
そんな目線で海に入り、潜るダイバーは今まで見たこともないし聞いたことも無い。
また地元ガイドがそれを誰かに伝えることも無い。
むしろここが激戦地だった事や、日本とアメリカが過去戦争をしたことすら知らない現代の若者観光客が続々と沖縄の地にやってくる。
観光客だけではない!
請け負うダイビング事業者やガイドの中にすら、また沖縄で生まれ育った地元の若者でさえすら蔓延しはじめている。
現在の米軍基地が何故ここにあるのか・・・。
何故こんな大恐慌になっても日本政府は米軍に対し毎年3000億円近いお金を出しているのか・・・。
過去、何故横断歩道をちゃんと渡っていた日本人が、飲酒運転で暴走してきた米兵の乗る車にひき殺されても米兵は無罪なのか・・・。
矛盾と現実、日本とアメリカ、そして沖縄との歴史とルーツが分からない・・・、いや、ちゃんと知らされていないからだと感じる。
ボクは沖縄戦でアメリカ軍が正に上陸を開始した上陸地である嘉手納町の海岸線に現在住んでいる。
おじいちゃん達に聞くと、63年前この目と鼻の先の海は4000~4500隻近い米軍艦隊が押し寄せそして海を埋め尽くし、砲弾と銃撃の火花で夜が昼間の明るさになったという・・・。
そして戦車がここから揚陸され、米兵は内陸を南下し日本軍と一般住民を囲むように追い詰め、最終的にご存知「ひめゆり学徒隊」の悲劇へと繋がる拠点となった。
あれから63年たった現在、その場所には現在住宅が立ち並び、街ができ、そして産業が出来た。
そう、無数の「屍」の上に現在我々は住んで生活をしているのだ。
時代がいつしか移り変わり、各々が少しでも幸せな生活が営めるようになるのと同時にいつしか人々の記憶から辛い過去が忘れ去られようとしている・・・。
拝金主義が蔓延し、今を少しでも稼ぐことに夢中になり、過去と現代のつながりをちゃんとした目線で教育してこなかったから「知らない」若者が育ち始め今に至る・・・。
だから現在抱える外交や政治的な問題も片付けられないのだ。
でも、確かに日常を生きる見渡す限りの「陸地」には戦地の爪あとも殆ど消え去り、特定された一部にしかその面影を見ることは出来ない。
しかしこの21世紀となった今でも「海の中」には63年間忘れ去られたかのようにその爪あとはしっかり残っている・・・。
殺戮兵器を目の当たりにすることが出来るのだ。
戦没船や軍事兵器の残骸であったり不発弾がそれだ。
戦争を知らないダイバー客がこれを見てなんと思う・・・。
戦争の話を聞かされただけでは実感もわかず、多分「ふ~ん・・・」って思うだけだろう。
だから残骸となった実物を直接見ながら伝え、そして一つ一つに説明を付けなければ意味をなさないと思う。
ボクは個人的には過去には囚われたくない主義である。
前を向いて歩きたい・・・。
本気でこの時代に前を向いて歩いていくためには、過去を断ち切り清算するべきだ。
だから過去を知らなければならない。
だから日本人は尚更知らなければならないと思う。
十分知った上で過去と決別し未来を本気で掴みに行くべきだ。
これが僕らが後世に伝える「生きた教育」だと感じてやまない・・・。

先日ボクが海底で偶然見つけてしまった過去前例の無いほど巨大な「500kg機雷」を巡り、自治体と海上保安本部と海上自衛隊で現在論議が交わされている。
通例だと、最終的に海上自衛隊の水中処分隊、別名EOD班が、独自の処理技術で沖合い深くに移動させ水中爆破処理を行う。
日本のEOD班は世界の軍事最高水準だそうだ。
だが実はそれには皮肉な過去と背景を持たされてきたからである。

「国際法」では、戦争のものであろうと自国の危険物は自国で責任持って「処理」しなければならないという国際的な法律が存在する。
要は日本の不発弾は日本政府で、アメリカのものはアメリカ政府で処理しなければならないというものだが、戦後アメリカは一方的に敗戦国の日本に自国の不発弾処理も自衛隊に押し付けてきた。
なぜならば、途方も無い金額とリスクを伴う作業と任務だからである。
それをアメリカ側が行うはずも無い。
戦勝国だからである。
戦勝国は何をやっても何を言っても許されるのである・・・。
その戦勝国で作られた組織が「国連」である。
そんなアメリカ政府にとっては無駄な責任は負いたくも無く、損はしても決して得はしないという単純な理由から法を無視して押し付けたのである・・・。
日本は暗黙のうちに未だ天文学的数のある不発弾処理をやらされているという背景から皮肉なことに不発弾処理では世界トップレベルの技術を身につけてしまったのである。
しかも我々の税金からアメリカの打った不発弾処理も未だ成り立っている。
ボクはそれを含め2つの理由として保安庁と自衛隊と自治体に「問題提起」しているのだ。
1つ目は一人一人が大人になり未来へ向かうため、引きずってきた過去との決別として「歴史教育」ツールとして海底の不発弾や残骸を「海底戦跡地」に残したいと言う提案。
2つ目は、一般には公表してこなかった政府間においての矛盾と不平等性をちゃんと世間に公表アピールするためである。
だが、今日は海上自衛隊の強い要望もあり、現場への「不発弾特定作業」に付き合わされた。
なぜならその場所を知っているのはボクだけだったからである。
これにかねてからボクを取材しているNHK班も一緒に同行したいと自衛隊に申し込んだが、マスコミは一切拒絶遮断され、自衛隊のダイバー達と私だけで海域に向かった。
磁気探査装置や様々な特殊装置を用いて、午前中の作業で特定された。
間違いなく「機雷」であると。
しかも最近稀に見る500kgの超大型機雷との事・・・。

この先、自然爆破の可能性が極端に低いのならば、自治体や周辺漁業者海上保安庁などに、正確に場所と危険性と情報を告知し伝えた後「海底戦跡地」として今後このまま保全したいとボクは主張した。
さすが役人達である。
「前例が無いことなので」と、水中爆破処理の方向に持っていかれそうである。
周辺に立ち入る漁業者、ダイバー、船舶には、危険性を告知する手段を十二分に徹底化して理解させた後、ボクは新たな試みとして主にこれらの軍事兵器を今度は逆に「遺産」と考え、平和教育の教育ツールとして使いたい・・・。
マジな活動です。
まだ理解されるには難しいのだろうか・・・。
その中でも取り分け綺麗な南国の「海」が最も大きな売りであり、マリ
ンレジャーやダイビング目的としての観光客があとを絶たない。
ダイビング事業者も、ちゃんと正規に届出を出しているところだけでも、この沖縄本島の中だけで優に330店舗以上が存在している。
その主要業務は日夜ダイバー客を海中に案内しサンゴやトロピカルな魚たちを見せてその業務を成立させている。
真っ白な海底の砂、碧く澄んだ綺麗な海、華やかで色鮮やかなサンゴ達、そしてそれに群がる色とりどりのトロピカルな魚達・・・。
あー癒される!・・・素敵!・・・楽しい!!・・・。
これが最も一般的な観光客ダイバーの感想であり、引率する沖縄のガイドダイバー達の任務のようなものである。
しかし同じガイドダイバーの立場として僕の目線だけは違っていた・・・。
そんな素敵で楽しい21世紀のこの沖縄の海とは裏腹に、ここは恐ろしく悲しい海でもあった・・・。
63年前までは、人が血で血を洗う戦場のど真ん中の海でもあったのだ・・・。
そんな目線で海に入り、潜るダイバーは今まで見たこともないし聞いたことも無い。
また地元ガイドがそれを誰かに伝えることも無い。
むしろここが激戦地だった事や、日本とアメリカが過去戦争をしたことすら知らない現代の若者観光客が続々と沖縄の地にやってくる。
観光客だけではない!
請け負うダイビング事業者やガイドの中にすら、また沖縄で生まれ育った地元の若者でさえすら蔓延しはじめている。
現在の米軍基地が何故ここにあるのか・・・。
何故こんな大恐慌になっても日本政府は米軍に対し毎年3000億円近いお金を出しているのか・・・。
過去、何故横断歩道をちゃんと渡っていた日本人が、飲酒運転で暴走してきた米兵の乗る車にひき殺されても米兵は無罪なのか・・・。
矛盾と現実、日本とアメリカ、そして沖縄との歴史とルーツが分からない・・・、いや、ちゃんと知らされていないからだと感じる。
ボクは沖縄戦でアメリカ軍が正に上陸を開始した上陸地である嘉手納町の海岸線に現在住んでいる。
おじいちゃん達に聞くと、63年前この目と鼻の先の海は4000~4500隻近い米軍艦隊が押し寄せそして海を埋め尽くし、砲弾と銃撃の火花で夜が昼間の明るさになったという・・・。
そして戦車がここから揚陸され、米兵は内陸を南下し日本軍と一般住民を囲むように追い詰め、最終的にご存知「ひめゆり学徒隊」の悲劇へと繋がる拠点となった。
あれから63年たった現在、その場所には現在住宅が立ち並び、街ができ、そして産業が出来た。
そう、無数の「屍」の上に現在我々は住んで生活をしているのだ。
時代がいつしか移り変わり、各々が少しでも幸せな生活が営めるようになるのと同時にいつしか人々の記憶から辛い過去が忘れ去られようとしている・・・。
拝金主義が蔓延し、今を少しでも稼ぐことに夢中になり、過去と現代のつながりをちゃんとした目線で教育してこなかったから「知らない」若者が育ち始め今に至る・・・。
だから現在抱える外交や政治的な問題も片付けられないのだ。
でも、確かに日常を生きる見渡す限りの「陸地」には戦地の爪あとも殆ど消え去り、特定された一部にしかその面影を見ることは出来ない。
しかしこの21世紀となった今でも「海の中」には63年間忘れ去られたかのようにその爪あとはしっかり残っている・・・。
殺戮兵器を目の当たりにすることが出来るのだ。
戦没船や軍事兵器の残骸であったり不発弾がそれだ。
戦争を知らないダイバー客がこれを見てなんと思う・・・。
戦争の話を聞かされただけでは実感もわかず、多分「ふ~ん・・・」って思うだけだろう。
だから残骸となった実物を直接見ながら伝え、そして一つ一つに説明を付けなければ意味をなさないと思う。
ボクは個人的には過去には囚われたくない主義である。
前を向いて歩きたい・・・。
本気でこの時代に前を向いて歩いていくためには、過去を断ち切り清算するべきだ。
だから過去を知らなければならない。
だから日本人は尚更知らなければならないと思う。
十分知った上で過去と決別し未来を本気で掴みに行くべきだ。
これが僕らが後世に伝える「生きた教育」だと感じてやまない・・・。


先日ボクが海底で偶然見つけてしまった過去前例の無いほど巨大な「500kg機雷」を巡り、自治体と海上保安本部と海上自衛隊で現在論議が交わされている。
通例だと、最終的に海上自衛隊の水中処分隊、別名EOD班が、独自の処理技術で沖合い深くに移動させ水中爆破処理を行う。
日本のEOD班は世界の軍事最高水準だそうだ。
だが実はそれには皮肉な過去と背景を持たされてきたからである。

「国際法」では、戦争のものであろうと自国の危険物は自国で責任持って「処理」しなければならないという国際的な法律が存在する。
要は日本の不発弾は日本政府で、アメリカのものはアメリカ政府で処理しなければならないというものだが、戦後アメリカは一方的に敗戦国の日本に自国の不発弾処理も自衛隊に押し付けてきた。
なぜならば、途方も無い金額とリスクを伴う作業と任務だからである。
それをアメリカ側が行うはずも無い。
戦勝国だからである。
戦勝国は何をやっても何を言っても許されるのである・・・。
その戦勝国で作られた組織が「国連」である。
そんなアメリカ政府にとっては無駄な責任は負いたくも無く、損はしても決して得はしないという単純な理由から法を無視して押し付けたのである・・・。
日本は暗黙のうちに未だ天文学的数のある不発弾処理をやらされているという背景から皮肉なことに不発弾処理では世界トップレベルの技術を身につけてしまったのである。
しかも我々の税金からアメリカの打った不発弾処理も未だ成り立っている。
ボクはそれを含め2つの理由として保安庁と自衛隊と自治体に「問題提起」しているのだ。
1つ目は一人一人が大人になり未来へ向かうため、引きずってきた過去との決別として「歴史教育」ツールとして海底の不発弾や残骸を「海底戦跡地」に残したいと言う提案。
2つ目は、一般には公表してこなかった政府間においての矛盾と不平等性をちゃんと世間に公表アピールするためである。
だが、今日は海上自衛隊の強い要望もあり、現場への「不発弾特定作業」に付き合わされた。
なぜならその場所を知っているのはボクだけだったからである。
これにかねてからボクを取材しているNHK班も一緒に同行したいと自衛隊に申し込んだが、マスコミは一切拒絶遮断され、自衛隊のダイバー達と私だけで海域に向かった。
磁気探査装置や様々な特殊装置を用いて、午前中の作業で特定された。
間違いなく「機雷」であると。
しかも最近稀に見る500kgの超大型機雷との事・・・。

この先、自然爆破の可能性が極端に低いのならば、自治体や周辺漁業者海上保安庁などに、正確に場所と危険性と情報を告知し伝えた後「海底戦跡地」として今後このまま保全したいとボクは主張した。
さすが役人達である。
「前例が無いことなので」と、水中爆破処理の方向に持っていかれそうである。
周辺に立ち入る漁業者、ダイバー、船舶には、危険性を告知する手段を十二分に徹底化して理解させた後、ボクは新たな試みとして主にこれらの軍事兵器を今度は逆に「遺産」と考え、平和教育の教育ツールとして使いたい・・・。
マジな活動です。
まだ理解されるには難しいのだろうか・・・。
Posted by TAKEちゃん at 19:22│Comments(2)
│海底戦跡
この記事へのコメント
海底戦跡地の調査、お疲れ様です。
いつもながら命懸けの熱い活動をされていますね。
先日の1mサイズの物体が500kg機雷と判明したまでは良かったものの、それをこっそり処理しようとするあたりが相も変わらず事なかれ主義のお役所らしい選択です。(彼らにも色々なしがらみがあるので、ある程度の理解は出来ますが。)
負の遺産こそ失われた日本人の精神や歴史観を取り戻すために活用していかねばならないのに・・・。
小生もこうした負の遺産や戦跡地の保全運動には大賛成です。
その為に今の状況下で何が出来るのか、何をするべきか等々、1月3日の新年会(?)でも大いに語り合いましょう!
いつもながら命懸けの熱い活動をされていますね。
先日の1mサイズの物体が500kg機雷と判明したまでは良かったものの、それをこっそり処理しようとするあたりが相も変わらず事なかれ主義のお役所らしい選択です。(彼らにも色々なしがらみがあるので、ある程度の理解は出来ますが。)
負の遺産こそ失われた日本人の精神や歴史観を取り戻すために活用していかねばならないのに・・・。
小生もこうした負の遺産や戦跡地の保全運動には大賛成です。
その為に今の状況下で何が出来るのか、何をするべきか等々、1月3日の新年会(?)でも大いに語り合いましょう!
Posted by 大佐 at 2008年12月24日 22:35
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
コメントありがとうございます大佐!
今回の一連を通して様々なグレーゾーンを体験できたことと知ることが出来大変勉強にもなりました。
それぞれの任務を遂行している各機関の名誉のためにも代弁しておきますが、彼らは決して事なかれと言うわけではない事だけは付け加えておきます。
ただ、「不発弾処理」も含め、政府間や国内事情としても戦後処理のあり方がとても矛盾を抱え実は未だ曖昧だという点。
そして将来に対しても明確なルール決めをしようと言う動きが無いということでした。
戦後、ベトナムの「地雷」撤去に関しても日本の不発弾同様、アメリカ軍のばら撒いていった爆発物は未だアメリカ政府が処理することはなく、結局世界中の「民間」などのNPOやNGOが働きかけ動くことで世界中が注視することとなりました。
亡くなったダイアナ妃も生前、この活動に参加していましたよね。
日本の場合、管轄を持つ各担当機関が明確化されていないこのグレーゾーンをどう扱うかでズレとタイムラグが生じているのです。
今回に至っても、水中の不発弾に関しては最終的に海上自衛隊のEODが処理に当たるわけですが、まずこういうステップを踏んでくれと要求されました。
①EODは海上保安本部からの要請が無いと動けないとのこと。
②海上保安本部は地域自治体からの要請が無いと動けないとのこと。
③地域自治体は主に漁業組合との折り合いが付かないと要請できないとの事。
すなわち自分の家の目の前の海岸に不発弾が発見されても、①自治体に要請 ②自治体は主に漁協と話し合い要請するかしないかを決定 ②自治体から海上保安本部に要請 ③海上保安本部から海上自衛隊に要請 そして④EODが事前現場調査 ⑤確認後、海上自衛隊から海上保安本部に撤去作業の最終確認 ⑥海上保安本部から自治体に撤去作業の最終確認 ⑦自治体OK そして⑧EODによって撤去作業 という面倒くさいステップを踏まなければならないという現実。
おまけに④のところでは、発見者もしくは通報者が、その為に船を一隻出さなければならない。ましてや今回はEOD班が潜る前に、私が捜索ダイバーとして借り出され一人でまずピンポイントを探しに行かされました。位置が確定した後にEOD班の潜水開始です。 これら全にボランティアを要求され、お金は
一切出ません。 ですので船を出す側、位置確定のダイバーやタンク代、細かいですが結局通報すると民間が赤字になる図式なのです。役所からは一切予算や補助金などは出ません。 だから特に漁業者は不発弾がそこにあることが分かっていても、通報すれば時間は拘束されるは船を出せと要求されるは経費すらも払ってもらえないわ、撤去終了まで漁が出来ないしもちろん保障料も無い、ただ赤字になるだけだと通報を拒むのが沖縄での現状なのです。
また最終的な確認の時点で自治体が「やっぱり撤去しなくてもいい」と拒否すれば、例えそれが確実に爆発する可能性があるものと分かっていても、海自にはそれを撤去する義務が無いということなのです。
どうです、とても曖昧でグレーな部分を感じませんか?
ただし今回この曖昧さが分かったことで、今後どう対応していけばいいのかというめどが立ったので、それは一つの収穫でした。
続きは新年会で!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
コメントありがとうございます大佐!
今回の一連を通して様々なグレーゾーンを体験できたことと知ることが出来大変勉強にもなりました。
それぞれの任務を遂行している各機関の名誉のためにも代弁しておきますが、彼らは決して事なかれと言うわけではない事だけは付け加えておきます。
ただ、「不発弾処理」も含め、政府間や国内事情としても戦後処理のあり方がとても矛盾を抱え実は未だ曖昧だという点。
そして将来に対しても明確なルール決めをしようと言う動きが無いということでした。
戦後、ベトナムの「地雷」撤去に関しても日本の不発弾同様、アメリカ軍のばら撒いていった爆発物は未だアメリカ政府が処理することはなく、結局世界中の「民間」などのNPOやNGOが働きかけ動くことで世界中が注視することとなりました。
亡くなったダイアナ妃も生前、この活動に参加していましたよね。
日本の場合、管轄を持つ各担当機関が明確化されていないこのグレーゾーンをどう扱うかでズレとタイムラグが生じているのです。
今回に至っても、水中の不発弾に関しては最終的に海上自衛隊のEODが処理に当たるわけですが、まずこういうステップを踏んでくれと要求されました。
①EODは海上保安本部からの要請が無いと動けないとのこと。
②海上保安本部は地域自治体からの要請が無いと動けないとのこと。
③地域自治体は主に漁業組合との折り合いが付かないと要請できないとの事。
すなわち自分の家の目の前の海岸に不発弾が発見されても、①自治体に要請 ②自治体は主に漁協と話し合い要請するかしないかを決定 ②自治体から海上保安本部に要請 ③海上保安本部から海上自衛隊に要請 そして④EODが事前現場調査 ⑤確認後、海上自衛隊から海上保安本部に撤去作業の最終確認 ⑥海上保安本部から自治体に撤去作業の最終確認 ⑦自治体OK そして⑧EODによって撤去作業 という面倒くさいステップを踏まなければならないという現実。
おまけに④のところでは、発見者もしくは通報者が、その為に船を一隻出さなければならない。ましてや今回はEOD班が潜る前に、私が捜索ダイバーとして借り出され一人でまずピンポイントを探しに行かされました。位置が確定した後にEOD班の潜水開始です。 これら全にボランティアを要求され、お金は
一切出ません。 ですので船を出す側、位置確定のダイバーやタンク代、細かいですが結局通報すると民間が赤字になる図式なのです。役所からは一切予算や補助金などは出ません。 だから特に漁業者は不発弾がそこにあることが分かっていても、通報すれば時間は拘束されるは船を出せと要求されるは経費すらも払ってもらえないわ、撤去終了まで漁が出来ないしもちろん保障料も無い、ただ赤字になるだけだと通報を拒むのが沖縄での現状なのです。
また最終的な確認の時点で自治体が「やっぱり撤去しなくてもいい」と拒否すれば、例えそれが確実に爆発する可能性があるものと分かっていても、海自にはそれを撤去する義務が無いということなのです。
どうです、とても曖昧でグレーな部分を感じませんか?
ただし今回この曖昧さが分かったことで、今後どう対応していけばいいのかというめどが立ったので、それは一つの収穫でした。
続きは新年会で!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
Posted by TAKE at 2008年12月25日 10:37
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