今から15~16年前、僕が当時働いていたダイビングショップがあった西オーストラリアから日本に一時帰国したことがありました。
その目的は、初の日本国産リブリーザー「GRAND BLUE FIENO」の導入を、当時のサービスで真剣に考えたからでした・・・。
FIENOとは商品名であり、システムはセミクローズドサーキット(SCR)で、いわゆる開放式(オープンサーキット)ではなく、循環式の半閉鎖式ダイビングユニットでした。
今でこそ、一般へのテクニカルダイビングの普及とともにリブリーザーやCCRというダイビングユニットが広く知られるようになりましたが、当時はまだ本当にマニアックな器材だったのです。
そんな時代、日本では世界に先駆けいち早く現在の重いダイビングユニットを逸脱すべく半閉鎖式のセミクローズドサーキットの開発と商品化を実現させていたのでした。
ユニット本体の重量は5.5kg。
専用の小型タンクとBCジャケットが装着され、総重量でもたったの9.6kg!女性が背負った状態で難なく飛び跳ねられる程度の重さでした。
当時から僕はこの軽さに大変魅力を感じていたのでした。
呼吸ガスは、今で言う「ナイトロックス」や「エンリッチドエアー」になり、背中に搭載された1.3Lの小さなアルミタンクに40%の酸素と60%の窒素の混合ガスを使用していました。
そしてなんと言ってもこのデザインの素晴らしさ!
ちょっとした未来系をイメージさせるような抜群の流体デザイン!
当時の通産省のグッドデザイン部門賞も受賞したほどでした。
使用方法は通常のオープンサーキットやAirではないので、新たに講習を受けなければなりませんでしたが、そこに対しても専門指導団体として「REDIS」という指導団体を立ち上げ、Cカードの発行も行っておりました。
国内販売総代理店としては東京日産自動車が代理店となり、本格的なリブリーザーダイビングマーケットを日本国内だけではなく世界に向けて着実に築き上げていました。
しかし時代が少し早かったのです・・・。
そして遅かったのです・・・。
当時ではこの次世代ダイビングスタイルと、リブリーザーユニットの価値と将来性に気付くダイバーは殆どいませんでした。
また、経済的に日本国内のバブル期がちょうど弾けてしまった時期ということもあり遅かったのかもしれません・・・。
FIENOは次第にその勢いと影が薄れていき、いつしか記憶にも忘れ去られついに消滅してしまいました。
僕は当時FIENOの開発者の方と千葉県のダイビングプールでFIENOのテストダイブをさせて頂きました。
初めての感覚、吸っても吐いても浮いてしまうリブリーザーの独特な感覚に最初手間取ったことを今でも覚えています。
そして理屈よりも何よりもとにかく軽くてカッコがイイ!
ただ、まだまだ開発の余地はあるといっていましたが、エアーバッグに吐いたガスを溜めるため、吸気よりも排気にかなりの抵抗があり、オープンサーキットで慣れてしまっている方はちょっと苦しさを感じる部分もありました。
しかしそれも慣れれば苦にはならず、いつしか不思議な静けさの中でのダイビングが約束されました。
今では世界中で、SCR、CCRを含め様々なリブリーザーがびっくりするほど数多く登場しています。
もしあの時、FIENOが日本で完全にブレイクして定着していたなら、日本のダイビングシーンと技術は確実に変わっていたでしょう。
今では世界をリードするトップクラスのリブリーザー大国となっていたかも????
また、あれ以来、未だかつて僕はFIENOを超えるほど魅了されるデザインのリブリーザーを見たことがありません・・・。
日本人の持つ美意識的なものがそこにも詰まっていたのでしょう。
もったいない!本当にもったいない!こんな日本の尊い技術と製品が埋もれてしまうなんて・・・。
因みに、当時の本体ユニットの販売希望小売価格は29万5千円!
今思えば、メチャクチャ安かったんじゃないでしょうか・・・!
FIENO・・・、もう一度復活できないもんでしょうかねー!
O2DIVE OKINAWA/旭潜水技研
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